1934年(昭和9年)生まれ
ヤマハの契約ライダーとして二輪で活躍。
特に、YA-1(赤とんぼ)で活躍。
その後プリンス自動車と契約、プリンスの7人の侍のひとりとなる。
第3回(1966年)日本グランプリでR380-Tで総合優勝。
1966年全日本ドライバー選手権シリーズを54Bで戦い、チャンピオンとなる。
カミソリの様なテクニックと、ユーモラスな性格が魅力。
1997年ニッサン・レーシング・チーム・キャプテン。
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- 砂子 義一 1961年 27歳
<ヤマハチーム>250cc世界ランキング17位
●オランダGP 125cc・9位 ●ベルギーGP 250cc・6位
- 総合レース部門
1966年、前年に始まった「日本グランプリ」が鈴鹿サーキットから富士スピードウェイに移ったこの年、ル・マン24時間レースにならった「JMS性能指数章」を設定。第1回目の受賞者は砂子義一。
その後70年代前半まで、日本グランプリを対象レースとして、生沢徹、田中弘、ジョン・サーティース等が受賞。
- 1957年第2回浅間火山レース
250ccクラス 2位 ヤマハ YA-1(2)
- 1961年USグランプリ
日本から世界グランプリレースの前哨戦としてホンダとヤマハが参戦。
砂子は市販のヤマハ250Sにカウリングをつけ出場し5位。
- 1966年第3回日本グランプリ
優勝 プリンスR380 2時間09分51秒59 60周
ベストラップ:砂子義一 プリンスR380 2分05秒02
- 1967年第4回日本グランプリ
3位 ニッサンR380A2
- 1968年第5回日本グランプリ
6位 ニッサンR381
- 1969年鈴鹿500km自動車レース
3位 ニッサンフェアレディ2000
- 1969年鈴鹿1000km自動車レース
3位 ニッサンフェアレディ2000
- 1969年日本グランプリ
予選 2位 黒沢/砂子 ニッサンR382
決勝 1位 黒沢/砂子 ニッサンR382
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